Saunner Interviews

04: 中山眞喜男(日本サウナ・スパ協会 技術顧問)

2018.5.16

『日本のサウナ誕生秘話、そしてサウナの知られざる裏話。日本サウナ界最強の泰斗・中山眞喜男氏 降臨!』

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中山眞喜男。
サウナマニアでこの名前を知らない人はいないだろう。

サウナメーカー「メトス」の前身である「中山産業」の元取締役にして、現日本サウナ・スパ協会の技術顧問。
日本のサウナの黎明期から現在まで、サウナを見続け、入り続けてきたサウナの生き字引にして最強の泰斗!
そんなサウナマスター・中山氏が、諸説ある日本最初のサウナについて決定的な事実を教えてくれた!!


                 
東京オリンピックの時に、フィンランドの選手たちが選手村にサウナ持ちこんで作ったんですよね。
日本でも今、家庭の用のサウナあるでしょ? 工場で作って組み立てるだけの。おそらくアレを持ってきたんだと思うんですけど、それがマスコミに取り上げられて、なんかバァ~ッと有名になっちゃった。
それまでの日本人は、サウナって言葉も知らないし、フィンランドがどこにあるかも、10人中9人は知らなかったんですから。なんとなく聞いたことあるくらいで。
実はワタシの義理の兄が中山産業(現メトス)って会社の社長やってたんですよ、富安商儀っていう。
それでライオンズクラブの会員かなんかやってて、その中で日本に最初にサウナを輸入しないか? っていう話が出たらしいんですよ。
それで「やろう」っていったのがライオンズのメンバーの中で中山産業だけだったという!
それで昭和41年に、今のどこだろ……渋谷の東急プラザの裏のあたりに日本最初のフィンランドスタイルのサウナの一号店を作ったんですよ。
それが『スカンジナビアクラブ』です。

日本最初のサウナの話というと、銀座の東京温泉の話がよくでてきますよね。この施設のできたのが昭和26年。ただこの時はサウナはありませんでした。
で、昭和36年に東京温泉が日本で最初のサウナと言われてるサウナを作ったんですけど、作る時にサウナがどういうものか? っていうのを、まぁ社長自身よく知らなかったんですね。
それでまぁ工夫して作ってみたんですけど、サウナ室の壁や床に蒸気配管を張りめぐらせて、そこに蒸気を通して部屋を暖めたという。
日本独自のサウナなんですけど、フィンランドのサウナとはまったく違う、でもそれをサウナって呼んじゃったんですね。
温度自体は80度くらいだったと思うんですが、床にも蒸気の配管通してますからね、もう床が熱くってね。飛んで歩かないと入れないようなサウナといいますか、まぁ独自のサウナでしたね。
東京温泉は、ミストルコなんていうマッサージする女性もいましてね。でもその後のいわゆる風俗のトルコ風呂みたいな、そういうサービスをするワケではなかったですよ。

“日本最初のトルコ風呂は東京温泉だ”なんて書いてある本とかもありますが、それは間違いなんですよね。

それはともかく。日本最初のフィンランドと同じ仕組みのサウナというと、スカンジナビアクラブということになるんですね。

日本最初のサウナは『スカンジナビアクラブ』。この事実はサウナ好きのウンチクとして知っておいた方がいいかもしれない。

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で、それを造る時は、フィンランドに設計させたと思うんですけど、やっばり文化の違いっていうんですかね。
フィンランドからきた図面を見ると、サウナがあって水風呂があって、あとはシャワーがズラーッ並んでるだけなんですよ。
それはフィンランドでは当たり前のことなんですけど、日本人になると、お風呂のお湯がなきゃ困るとか、体を洗うカランがなきゃイヤだとか………だから内容的にはずいぶん日本風にアレンジしたんですよ。
それが今の日本独自のサウナの始まりになったんでしょうけど。ただサウナそのものはフィンランドそのサウナの作り方そのものだったんですよ。
ただ、ワタシはその時はサウナと全然関係ない会社に勤めてましてね。でも義理の兄の関係で試運転の時から入ることができましてね。まぁ、サウナもそれで初めて体験したと。
やっぱりあの……サウナ初めて体験すると、そのままハマっちゃう人と、入った途端でタオルで鼻と口押さえてそのまま出てきちゃう人と、大きく分けて二つに別れちゃうんですよね。でもボクなんか一発でハマっちゃった。
 
そして昭和48年に義理の兄の富安が亡くなりまして、それで中山産業から「オマエもこっちきてやらないか?」って話がきて、それで仕事としてサウナに関係することになったんですけど、その頃はとにかくサウナがどんどんできてきてた。
銀座だけで7~8軒サウナがあったんですよ。

スカンジナビアクラブ以降、日本中は今のサウナブームなどとは桁違いの一大サウナブームが巻き起こっていたのだ!

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あのお、今銀座は全部高速道路で囲んじゃってますけど、昔は銀座も水の都だったんですよ。
東側は築地があって、西側は外堀川があって、あと京橋川と汐留川とあって、でぇ~銀座通りと昭和通りの間に三十間堀っていう堀川があって…。
それが戦後に空襲のビルのガレキの処理に困って、それをみんな川の中に放りこんじゃったの。
あの~ワタシ、銀座に住んでたの。銀座っていっても昔の木挽町(現在の銀座と築地の間)ですけどね。そこに住んでて京橋小学校の卒業なんです。
それでその頃はまだ有楽町に新聞社がたくさんありましてね。朝日新聞なんか日劇(現・有楽町マリオン)の横にあって、その前に『サウナバス有楽』っていうのがありましてね。
新聞社の夜勤明けの人なんか入ってて、よく流行った店でしたよね。
それと松屋の裏ですね。昔の三十間堀の川っぷちに、今でもビルはありますけどお稲荷さんがありましてね、その隣のビルの地下にもサウナありましね。
42年頃にできた古いサウナ。ビルの面積が30坪くらいですかね、だからもう脱衣室と風呂場と簡単な休憩室とマッサージと、それしかない店ですけど、家から歩いて1分くらいだったんで、よく通いましたね。
その頃、三原橋に『吉葉』っていうちゃんこ料理屋がありましてね、元横綱の吉葉山がやってた。
この吉葉はもう一軒、外堀側の埋め立ての西銀座デパートの、帝国ホテルの裏のあたりのへんの地下にもあって、人から聞いた話だけど、どちらかが本妻の店で、どっちかが妾の店だ、なんて噂もありましたよ。吉葉山は美男力士でモテたんだ。

それはともかく、そのサウナでは吉葉山とも何回も会いましたよ。
野球の金田正一! あの人も『サウナ34』っていう、自分の背番号を付けたサウナをやってたことあんですよね。
その研究の為なのか、あの人ともそのサウナでは会いましたねェ。
 
当時、元厚生大臣で川崎秀二さんという方がいて、この人はフィンランドと色々と交流が深い人だったんですけど、サウナが好きで。
ただサウナが急に出来たもんですから、トルコ風呂みたいな、サウナに関連した名前を付けたいかがわしい店も増えてきたんでね、サウナ営業の人だとか、中山産業みたいなサウナ設備の会社とかも、
これはまずいんじゃないか? サウナの健全化を目指さなきゃいけないんじゃないか? っていうことで、この川崎秀二さんを総裁にして、『日本サウナ・スパ協会』の前身である『日本サウナ党』っていうのを作ったんですよ、これが昭和44年ですかね。正式に設立ってことになったのは昭和46年ですけど。
総裁が川崎さんで、会長は銀座で東京温泉をやってた許斐(このみ)氏利さん。
それと前後して、東京や北海道、名古屋、大阪、兵庫なんかに地方ごとのサウナ協会もできてきましてね。
それをまとめた『日本サウナ協会連合会』っていうのも出来たんですね。
その時に会報みたいな新聞を発行しましてね、東京都の衛生局の課長が祝辞を書いてるんですけど、それを読んでたらですね、昭和46年の時に都内で440軒のサウナがある、と書いてある!!
だからすごい広がり方ですよね、わずか5年くらいです。
 
銭湯がサウナを作ったのも早いんですよ。
埼玉県の例ですけど、昭和44年に埼玉県には銭湯が380軒あって、そのうちの50軒にはサウナがあったと。
昭和42年の週刊朝日が『サウナバス繁盛記』っていう取材記事があるんですけどね、それを読むと、もうすでに新宿や渋谷では過当競争でどうなるか? って心配してますね。
新しくホテルを作る時は、サウナを作るのが当たり前っていう時代でしたしねェ。

だからそれでね、中山産業もどのくらいサウナを輸入したのか調べようと思いましてね。ただ今は全部データもコンピュータ化してるでしょ? 
だから古いヤツは全部捨てちゃってないんですよね。
ただ当時の社長の富安商儀が、フィンランドサウナ協会が運営してる『サウナセウラ』っていう会員制のサウナに、日本人で初めて推薦されてメンバーに選ばれてるですよ。
それに、その会員証があるんですけど、その会員証をわざわざフィンランド大使館が訳してくれてるんですよ。
普通大使館がそんなことしませんでしょ? よっぽど大使館もフィンランドのサウナが日本で売れてうれしかったんでしょうねェ。
 
昭和43年か44年くらいですかね。あの頃、藤田小女姫(こととめ)っていう有名な女占い師がいましてね。
それがね、有楽町に『有楽サウナ』っていうサウナを作ってたんですけど、これが火事だしましてね。それで3人死んでるんですよね。
ただそのサウナを作った業者っていうのが、我々の全然知らない業者だったワケ。ストーブも国産で作ったストーブらしいですよ。
だから変な意味で、やっぱりサウナはフィンランド式で作らなきゃダメだっていう、常識みたいになってきたんですよね。
そんなこともあって、そうとう輸入しましたよ、サウナを。
ボクの記憶でも年間に4~500台は輸入してたと思うんですよね。

ところで中山氏の好きなサウナはどんなサウナなのだろうか?

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数のうえで一番普及してるのは電気式のストーブなんですけど、フィンランドにしてもバルト三国にしても、サウナっていったらスモークサウナのことをいうんですよね。
電気式のサウナのことはちょっとバカにしてるみたいな。
あんなのは「ただの電気のグリルだ!」みたいな感じですよね。
たしかに温度のまろやかさでいうとスモークサウナなんかイイですよね。
“温度がまろやか”っていうのは、まぁなんとも説明が難しいんですけと、鰻も電気ヒーターと備長炭で焼くのとじゃ、あきらかに違うそうですからね。
ただ日本の都市部でスモークサウナを作るなんていうのはね、消防法の問題もあって無理でしょうけど。薪の問題もありますし。アレはフィンランドみたいな森林国だからできるんでしょうね。ただフィンランドでも木を切ったあとちゃんと植林してますからね。
それで1年分の薪を切って溜めるわけですよね、薪の貯蔵庫があって。で実際に使う薪は2年目のモノを使うワケですよね。
一年間は乾燥させるワケですよね。電気ストーブなんてのはスイッチ入れればいいんですけど、スモークサウナはそういう手間もかかる。逆にそういう労働の喜びがあるかもしれませんけど。
そういう意味で、電気式で手軽だけれども、石の量を増やして、スモークサウナに近づけようとしてるのがIKIサウナですよね。

IKIサウナを開発したJouni Kerrman氏。中山氏は彼の別荘のサウナにも入ったことがある、数少ない日本人の一人でもある。

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IKIの社長の別荘。ヘルシンキから電車で2~3時間かかったですかね。そこに行ったら、敷地が広いんですよ。
柵なんてなくて、どこからどこまでが自分の敷地がわかんないようなもんなんですけど、その土地の中にその人のサウナだけで5つくらいあったかな、あっちこっち作ってるんですよサウナ小屋を。
薪だけのサウナもあれば、IKIのストーブが置いてあったり、違うのが作ってある。
大昔のサウナみたいな土の中に作ったサウナだとかね、そんなのもありましたよ。
土手を利用して前だけが外気に面した形で洞窟みたいに掘って作ってある。内壁は木で仕上げてあるんですけどね。
まだ入ってないですけど、日本じゃ今年の3月に初めてそのタイプに似たサウナが出来ましたよ、長野のフィンランドビレッジに。
土の中に作ったサウナは、ロウリュした時の感覚がイイなんて向こうの本には書いてありますけど、フィンランドで入った時はそれほど感じませんでしたけど。

ロシアのね、サウナのことバーニャっていうけど、アレはまだ入ったことがないんですよ。ただ入った人に聞くと、誰もがいうんですけど、アレはものすごく温度も高いし湿度も高いと。
だから向こうの連中は必ずサウナハットかぶって入るんですけど、フィンランドであんなものをかぶって入るヤツなんて見たことない!
フィンランドのヤツに聞くと、サウナハットは耳のヤケドを防ぐためにかぶるもんだから、フィンランドでは必要ないと。ヤケドするまで温度も湿度も高いようなサウナはフィンランドにはない、と。
まぁヘルシンキのサウナセウラにも熱いのありますけどね。部屋でいうとナンバー3!
ただあそこは状況に応じてロウリュしますからね。
「頼むよ~」っていうと、サウナ室から出て行く人が、出てく途中でフタ開けて水かける。
まぁそれがマナーにもなってるんですけど、熱さは状況にもよりますからね。
そんなバーニャをロシアの人は“スチームバス”だっていうんですよ。
ずっとロウリュしてて蒸気が多いから連中はそういってるんですけど、他の国の人にいわせりゃスチームバスっていうのは別のものでね。
日本でもアメリカでもそうですけどスチームバスっていうのは蒸気発生機があって、そっから部屋の中に蒸気を送る。
だいたい部屋の中の蒸気は100パーセント……飽和状態になってて、温度が上がると自動的に蒸気が止まるようになってる。
蒸気の場合は温度上げると、体感が熱くて入れないから、40度からせいぜい60度くらいで押さえてるんですけど、そういうのが我々のいうスチームバスなんですけど、ロシアの人はバーニャもスチームバスっていっててね、そこらへん食い違いはあるんですけどね。

それにしても中山氏、御年80才にして、やはりサウナのおかげなのか健康そのものに見える。

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アメリカのアスレッチック機械のメーカー……ノーチラスだ。ノーチラスのマニュアルみたいの見てたら、運動した後はね、スチームバスじゃなくてサウナに入れと。
スチームバスっていうのは蒸気があって体の汗が蒸発しにくいと。サウナの場合は発汗によって体が冷やされるから、そっちの方が健康にいいと書いてありましたけどね。
サウナっていうのは熱いから体を冷やそうとするワケですよ。最初のうちは冷やそうと、どんどんどんどん血液の循環をはじめるんですよ。
でまぁ表面の温度を下げようとするんですけど、それじゃおっつかなくなるもんだから、次に汗を出す。
その時の汗の蒸発で気化熱で体を冷やそうとする。それが体にいいんですよね。
 
水風呂の温度ってのも好き好きですからね~。最初の流行りだした頃、営業店から、「水風呂っていうのは何度にすりゃあいいんだ?」
っていうふうな質問がくるわけですよ。そん時に、これは客の好みですから、いくつかアンケートを取ってみたんですよ。そしたら20度じゃヌルすぎると。
それで15度だと冷たすぎるっていうんですよね、アンケートの結果では。
だからまぁ、17度が17,5度くらいにしたらいいんじゃねぇか? なんていってたら、それが通っちゃったみたいですね。
 
ロウリュも最初はできるような所が多かったんですよ。
スカンジナビアクラブも大きなサウナと小さなサウナがあって、小さなサウナの方がちょっと温度も低くて,ちゃんと杓とおけが置いてあってロウリュできるようになってましたよ。
でも、そういうロウリュができるサウナで、酔っぱらいのお客がザバーッと水かけてヤケドするなんていうことが時々あったんですよ。それで危険だっていうんで辞めさせちゃったんですよね。
ロウリュっていえば、水風呂と同じで、サウナを楽しむ大事な要素の一つなんですけど、当時は経営者も、ましてや従業員も、サウナ自体がどういうものか知らないですからね。
そうやってロウリュできなくなったのが昭和の42~43年頃。まぁ逆に言うと、日本独自のサウナ文化でできたっていうことはありますけどね。
日本独自のサウナ文化といえば、サウナ室のテレビ。あれがいつごろどこがやりはじめたのか、調べてみたこともあるんだけど、わからないんですよねェ~。
たしか銭湯で風呂場にテレビを付けたっていうのは銭湯の浴場組合の資料かなんかにあった気がするんですけど、サウナのテレビっていうのはわからないですねぇ。
ただ42~43年頃よりはちょと後だと思いますよ。
サウナの後に休憩室で呑んで喰ってっていうのも、日本だけでしょうねぇフッフッ。
外人からいわせると、日本のサウナは実にキレイに作ってあるとはいいますね。
日本はサウナ室を大工じゃなくて建具屋に作らせたんですよね。
(注・家屋でいうと家自体を造るのが大工。障子や襖、ドアなどを造るのが建具屋で、組子のような複雑な木工も得意とする)
日本人っていうのは、板は柾目じゃなきゃいかんとか、色は揃えなきゃいかんとか、節があっちゃいけねェとか、ヤニがあっちゃいけねェとか、そんなことばっかりいうワケですよ。
フィンランド人にいわせりゃ、「これは自然の木じゃないか?」と。
「節があるのは当たり前だし、柾目じゃなくったっていいだろう?」と。そういう所がありますね。
設計事務所の建築家の先生たち、ああいう人がこだわるんですよね。
サウナなんて80度90度で使ってますから、当然半年1年経てば炭化して黒くなってくるんですよ。
だからそんなことこだわらなくたってねェ。
だってずいぶん値段も違ってくるんですよ! 
そういう所は作る側の人間じゃないと知らないでしょうねェ。
サウナ室に最初からバスタオルを敷いてあるのも日本独自ですよねぇ。
新橋の『アスティル』なんかは、サウナ室の入口に自分用のタオルがあって、それを自分で敷いて、出る時に捨てるっていうのもありますけどね。
ただ最近は口すっぱくいったんでなくなりましたけど、バスタオルじゃなくて最初っからベンチ全体に交換できないような絨毯を敷きつめたサウナ室っていうのもあったんですよ。それは臭くなっちゃいますよね。
サウナ室のベンチっていうのは、透かしにしておいて、その下と上で空気が循環しなきゃいけないのに、絨毯でふさいじゃったら、それもないですからね。
まぁ日本ではオシリの下に敷くだけですけど、ドイツあたりいくと国民性ですかね、やたらうるさんですよね。
オシリの下から足の先までタオルでベンチに触れないようにして、それで座れと。
だから自分のだした汗は、自分のタオルで全部始末しろっていう考え方なんですよね。
ドイツ人はそういうことをいうんですよね、几帳面で。まぁ慣れちゃえばなんてことないですけどね。
 
それでもあんまり新設の話はきかないですよねェ。だからちょうどいいくらいの数になってるんじゃないかと思いますけどね。

ワタシが外のサウナで行く所っていうと、まぁ数でいえばメンバーになってるスポーツクラブのサウナなんですけど、それ以外だと、よく行ったのはなくなっちゃった『後楽園サウナ』。
今は若いコ向けに開発した……なんつったっけ? 『ラ・クーア』だ。
ラ・クーア……あれはどうもなんか……ん~、なんかねぇ。
だから最近で外で入るサウナといえば、新橋の『アスティル』かねェ。
ウチにもありますけどね、家庭用のサウナ。電気式の一坪弱の。片隅にストーブがあってベンチが二段あって。少なくても毎週日曜には家のサウナに入ってますけど、浴槽はひとつしかないですから、夏の間は水風呂にしておいてはいれるんですけど、冬はね…。
冬も水風呂にしておきたいんですけど、回りから苦情がくるんですよ、家族から。
「寒い時はお湯に入りたい」って、ねェ? もうそういう時は水シャワーで我慢してますけどね。
 
サウナに入る時に気をつけてること? いやぁ~なんもないすね。
ただ年とりましたからね~。フィンランドで冬なんか湖に入る時は水温低いですよ。そういう時はゆっくり足から入るように気をつけてますけどね。
ただサウナ室から湖までは距離があるんですよね。ユックリ歩いてくと1分くらいある。それでゆっくりと外気で体が冷えるんですよね。アレ、考えてやってると思うんですけどね。
だけど向こうの連中は体が丈夫ですよ。氷張った湖に平気で入るんですからね。
あ、気を付けることというか、酒呑んだあとは入らないようにしないといけないですね。それで食事した後は入っても気分よくないですよね。
それと医学的に言われてることなんですけど、温度が高めのサウナ入ると交感神経が活発になるから元気になる。逆に50度、60度の低温サウナに入ると、副交感神経が働いてバランスが取れるんだっていわれてますけど、それは体験的にわかる気がしますよね。
冬なんか熱いサウナに入って、その後に布団に入ればよく眠れるんじゃないか? ってやってみたんですけど、目が覚めちゃうんですよね、交感神経が活発になりすぎて。
だから寝たい時は低い温度のサウナ入りゃいいんでしょし、サーモスタットで温度変えればできるんでしょうけど、そういうことはしないんですよね、ウチのサウナは。

ただ外のサウナも昔よりは温度低めになりましたでしょ。だいたい今は90度くらいで落ち着いてますでしょ。
昔は温度は高い方がいいと思ってる人が多かったですからね。サウナが日本に入ってくる前の銭湯のだって、湯船のお湯をヌルくすると怒鳴るオヤジがいたんですよね。
「水でうめたら日向水になっちまうじゃねェか!!」なんてね。そういうオヤジがいたもんですよ。

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サウナに入ると、汗と一緒にカドミウムだナトリウムだデトックスされる。
それは実験のデータで出てるんですけど、入ってる最中に水を呑むと、呑んだ水っていうのはすぐ胃で吸収されて、すぐに血液の中に入っていっちゃうんですよ。
だから発汗はよくなる。発汗はよくなるんですけども、腎臓だとか肝臓だとか、そういう所からの汗が出なくなってきちゃうんですよ。デトックスの汗が出なくなっちゃう。
だから水を呑むなら、サウナに入る前はもちろんのこと、サウナを出てからも呑みなさい、と。サウナ入れば500CCだっていうくらいの汗はかきますからね、出たらば必ずこの水分補給はしなさい、と。

酒じゃダメなのか? って。ん~サウナから出てすぐ呑むビールは旨いすけどねェ……エエ。でもま、我慢して最初は水一杯ね。

--以上・現日本サウナ・スパ協会 技術顧問・中山眞喜男氏のインタビューでした。

(取材/構成:カーツさとう)

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